名古屋工業大学 柴田研究室

研究概要

サリドマイド

サリドマイドはかつて痛ましい薬害を引き起こし,市場から姿を消した薬ですが,近年その薬効が見直されています。サリドマイドはハンセン病,癌,皮膚病,リウマチ,ベーチェット病,多発性骨髄腫等の難病をはじめと様々な疾患に対し薬効を示し,日本では希少疾病用医薬品に指定され,2008年以降,医師の厳重な管理の下,販売が再承認されています。サリドマイドはR体に催眠鎮静作用が,S体には催奇形性作用があると言われています。しかしキラルなサリドマイドを投与しても生体内でラセミ化するため,催奇形性の危険を背負ったまま処方されている現状です。当研究室では当初サリドマイドの効率的な合成法等の開発を行っておりましたが,近年ではラセミ化を抑制したサリドマイドの開発やサリドマイドの自己不均一化現象に関する研究を行っています。

サリドマイドの不斉合成法の開発

ラセミ体のサリドマイドはグルタミン,もしくはグルタミン酸から簡便に誘導することができますが,キラルなサリドマイドの合成は長く複雑な工程を経る必要があります。そのため光学純粋なサリドマイドを得るためにはラセミ体のサリドマイドを合成し,これを光学分割するのが一般的でした。当研究室ではオルニチンを出発原料とし,3工程で簡便に光学純粋なサリドマイドを合成する手法を開発しています。

Enantiomer 2001, 6, 275-279. [リンク]

5-ヒドロキシサリドマイドの不斉合成

サリドマイドは生体内で代謝を受け,多彩な代謝物を与えます。この際サリドマイドはR体とS体とで代謝経路が異なると報告されています。S体のサリドマイドは,生体内で酸化酵素シトクロムP450によって酸化され,(S)-5-ヒドロキシサリドマイドを主な代謝物として与えます。サリドマイドの幅広い薬理活性はサリドマイドそのものだけでなく,これらの代謝物が関与している可能性が非常に高いと考えられます。そのためこれらの薬理活性を調査する必要がありますが,これまで5-ヒドロキシサリドマイドはラセミ体しか合成されておりませんでした。当研究室では立体の異なるオルニチンを出発原料とし,5工程で5-ヒドロキシサリドマイドの両異性体の合成に成功しています。本代謝物は塩基性条件下において平衡状態をとり,ラセミ化及び加水分解に対して安定であることが分かりました。

Bioorg. Med. Chem. Lett. 2009, 19, 3973-3976. [リンク]

5'-ヒドロキシサリドマイドの不斉合成

R体のサリドマイドは,主な代謝物としてグルタルイミド骨格が酸化された5'-ヒドロキシサリドマイドを与えることが明らかとなっています。R-サリドマイドの薬理活性の発現機構は未解明の部分が多く,その代謝物の異性体間における薬理活性を調べることは重要です。当研究室では酵素触媒的不斉合成法による5'-ヒドロキシサリドマイドの光学分割を行い,cis-5'-ヒドロキシサリドマイドの両立体異性体を得ることに成功しています。

Org. Biomol. Chem. 2008, 6, 1540-1543. [リンク]

3'-フルオロサリドマイドの不斉合成

サリドマイドは光学異性体間で薬理活性が異なりますが,光学純粋なサリドマイドを投与しても生体内でラセミ化してしまいます。そこで当研究室では,フッ素がプロトンのイソスターであることを利用し,3'位の水素をフッ素に置き換えた3'-フルオロサリドマイドを開発しました。本化合物は強固な炭素-フッ素結合により異性化しないことが明らかとなっています。さらにサリドマイド前駆体に対し,直接的フッ素化法を用いた光学異性体間の作り分けに成功しています。本手法は同じ不斉源を用いながら,添加剤を変更することにより逆の異性体が得られるという興味深い反応です。

Org. Lett. 2011, 13, 470-473. [リンク]

3'-デューテリオサリドマイドの開発

サリドマイドのラセミ化を抑える戦略として3'位の水素を重水素に置き換えた3'-デューテリオサリドマイドの開発を行っています。重水素は基本的に水素と同じ性質をもっていますが,炭素-重水素結合は炭素-水素結合よりも強いことが知られています。そのためサリドマイドと殆ど同じ性質を示しつつもラセミ化を抑制することができます。Boc保護したサリドマイド前駆体から3行程にて重水素化されたサリドマイドを合成し,キラル固定相のHPLCによって分割しました。本化合物は通常のサリドマイドよりも5倍ラセミ化しにくいという結果が得られました。

Chem. Pharm. Bull. 2010, 58, 110-112. [リンク]

サリドマイド型人工核酸の開発

サリドマイドの作用機構の仮説の一つにDNAに作用しているというものがあります。サリドマイドはエノール体に異性化することによってGCボックスのグアニンにHoogsteen型塩基対を形成する可能性があると考えられます。当研究室はこれらの仮説を基に腫瘍選択的ドラッグデリバリーシステムの開発を行いました。サリドマイド類縁体である5'-アザサリドマイド骨格を有するサリドマイド型人工核酸の開発に成功しています。本化合物は細胞増殖とDNA転写が活発な腫瘍細胞に選択的に送り込まれ,正常細胞に与える影響を減らすことが期待できます。

Chem. Lett. 2009, 38, 1046-1047. [リンク]

サリドマイドの自己不均一化現象の調査

自己不均一化現象とは不斉骨格もつ化合物の光学純度が物理化学的なプロセスによって不均一化する現象です。サリドマイドのような両異性体間で異なる薬理作用を示し,且つラセミ化しやすい医薬品は,作用機構にこの自己不均一化現象が関与する可能性があります。当研究室では非キラルなカラムクロマトグラフィーを用いたサリドマイドの自己不均一化現象の調査を行いました。結果,サリドマイドは顕著な自己不均一化現象を示し,% eeという低い光学純度のサリドマイドから% eeと高い光学純度のサリドマイドが分画されることを見出しました。またサリドマイドイソスターとして当研究室で開発した3'-フルオロサリドマイドに対しても同様の調査を行ったところ,興味深いことに通常のサリドマイドとは異なる不均一化パターンを示しました。X線結晶構造解析によりこの現象機構の考察を行ったところ,通常のサリドマイドは二つの水素結合を介して二量体を形成していることが判明しました。一方で3'-フルオロサリドマイドは会合体を形成していないことが明らかとなりました。この両者の性質の違いが不均一化様式の違いとして現れたと考えられます。

Chem. Sci. 2015, 6, 1043-1048. [リンク]

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