中村修一 2001.10.25著                                                

不斉合成とは・・・(入門編)

有機化合物の中には、同じ組成でも立体構造が人間の右手、左手の関係、すなわち鏡に映したように対称的な2つの形(鏡像体エナンチオマー・光学異性体)を持つ化合物があります。

鏡像体(12K)

このような化合物を合成する際に、特に工夫もなく合成反応を行うと、右手系と左手系の両方のエナンチオマーが1:1で混在する状態ができます。これは、サイコロをずっと振り続けると、奇数の目が出る確立が2分の1に収束するのと同じ原理です。サイコロに詰め物をするなどして、工夫を施すと奇数の出る確率を操作できます。分子の合成においてこのような確率操作を試みることを、不斉合成といいます。(サイコロに工夫をするのは不正です)

光学活性な酒石酸を初めて、右手系と左手系の光学活性体に分離したフランスの化学者ルイ・パストゥールが「生物でしかこのような合成はできない」と唱えて以来、人工的に不斉合成を行うことは不可能と考えられてきました。しかし現在では、合成中に種々の仕掛けを組み込むことによって光学活性体を選択的に合成することが可能になって来ました。
では、このような作り分けにどのような意味があるのでしょうか?

エナンチオマーは、沸点、融点などの物理的な性質がほとんど同じであるにもかかわらず、右手系と左手系で、生物(人間の体)に対する相互作用の仕方が大きく異なります。これは、生物が光学活性体のアミノ酸と糖(L体のアミノ酸とD体の糖)で構成されているためです。分かりやすく例えると、人と握手するときに右手と左手では握手がうまくできないのに、右手同士では、握手が簡単にできます。これと同様に右手系の化合物と左手系の化合物は、生物の中では異なる化合物として認識されるのです。
 このような光学異性体が人間の体に対して異なる相互作用をした例としては、「サリドマイドの悲劇」がよく知られています(その他の例)。このサリドマイドは、(R)-体(光学異性体の一方の名称です)は催眠作用、鎮静作用があるために、睡眠薬などに広く用いられましたが、(S)-体(光学異性体のもう一方の名称です)には催奇作用(奇形誘発作用)がありました。しかし、医薬品はラセミ体(右手系[(R)-体]と左手系[(S)-体]の混合物)として供給されたために、非常な悲劇を引き起こしました()。
しかし,最近ではその特異な薬効が注目され、多発性骨髄腫、ハンセン病、ベーチェット病の改善薬として注目を集めています。

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 このような、光学異性体の違いによる人間の体への作用の仕方の違いは、ほかにも数多くの例が知られています。このようなことから、医薬品、農薬合成などにおいて、光学異性体の一方を効率よく合成する方法が近年の有機化学において重要となっており、その研究を不斉合成といいます。
少し専門的になりますが、光学活性な化合物を合成するには主に3つの方法があります。
1.アキラルまたはラセミ体の化合物からエナンチオ選択的に反応させ 光学活性体に導く方法
2.天然に存在する光学活性な化合物(糖やアミノ酸など)からジアステレオ選択的に反応させ導く方法
3.ラセミ体を光学分割するという方法もあります。

ちなみに・・・・我々の研究室では、主にのルートの研究を行なっています。

・・・この内容を一般の方に説明するのに、ずっと苦労していましたが、2001年に名古屋大学の野依良治先生がノーベル化学賞を受賞されて以来、かなり一般的な知識となってきてうれしく思います。(ノーベル賞-不斉合成-の公式HP)

 
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