
ナノ分子精密加工
-ナノ平面への合目的な置換基配置を可能にする分子土台としてのシクロデキストリン-
酵素のような高度な機能を発現させようとするならば、デシナノメータの単位で精密に官能基を空間配置する必要がある。
これは現在の科学技術をもってしても容易でないことが多い。
そこで注目したのが、環状糖質シクロデキストリンである。この糖質分子はグルコースが環状に結合した円筒構造を持つ。
その円筒の上下それぞれの面の直径は約1ナノメートルであり、これを縁取るようにグルコースのヒドロキシ基が等間隔で存在する(図1)。
したがって、このヒドロキシ基を化学反応によって適切な置換基に変換すれば、目的とする官能基の集積・配置を精密に実現した
ナノ分子を得ることができる。
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図1. β-シクロデキストリン |
そこでヒドロキシ基をスルホン酸エステル化したシクロデキストリン誘導体を研究した。
スルホニルオキシ基は良好な脱離基であり、これを求核剤で置換することで官能基が容易に導入できる。
ここでさらに重要なのは、シクロデキストリン上に存在する複数のヒドロキシ基を位置特異的にスルホン酸エステル化することである。
これが実現できれば、希望する数の官能基を、希望する位置に導入でき、これによりナノ平面上に意図した官能基の空間配置を
持つ分子が完成する。
7個のグルコースからなるβシクロデキストリンには、7個の6位ヒドロキシ基から縁取られたナノ平面が存在する。
そのため、1個〜7個のスルホン酸エステル化が可能であり、さらに2〜5個のスルホニル基が導入された場合には位置異性体が生じ、
その結果として19種類の6位スルホン酸エステルが存在する(図2)。
官能基の望みうるすべての配置を可能にするためにこれらすべてを得る上での解決すべき最大の課題は、
位置異性体の分離精製と構造決定であった。
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図2. 6-O-スルホニル化b-シクロデキストリンと その位置異性体 |
図3. ペンタスルホナート5a-eの構造決定 |
1984年に開始された藤田らの研究(ジ〜トリスルホナート)をひきつぐかたちで研究を遂行し、まず5個のスルホニル基を持つ
ペンタスルホナートの3種の位置異性体に取り組んだ。これらの分離精製には、逆相カラムクロマトグラフィーにより成功した。
そして、位置異性体の構造同定には、スルホニル化グルコース残基を分子内脱スルホン酸反応で3,6アンヒドロ化した誘導体が”成功の鍵“となった。
まず、ペンタスルホナート5a-cから得られた3,6アンヒドロ化誘導体8a-c (図3)それぞれについて、高分解能核磁気共鳴(NMR)スペクトル上で隣り合う
グルコース残基の関係を示す核オーバーハウザー効果(NOE)を観測することで (図4)、それぞれの誘導体配列を決定し、
もとのスルホナート位置異性体の構造を同定した(発表論文1)。この構造決定を確かめる意味で、有機化学的構造相関も行った(図3)。
構造既知であった二つヒドロキシ基がt-ブチルジメチルシリル化されたβシクロデキストリン(化合物9a-c)の残りの6個のヒドロキシ基を
スルホニル化(化合物10a-c)し、引き続き3,6アンヒドロ化することで、標品としての化合物8a-cを合成した。
それらと、先に化合物5a-cから得たものを比較検討することで、NOEをもとに行った構造決定が正しいことを証明した。
位置異性体を生じないヘキサスルホナート6とヘプタスルホナート7合成分離は、
一見、容易に見える。しかし、ヘプタスルホナート7の場合、反応を過剰に行うと
”8番目“のスルホニル化が2位ヒドロキシ基に起こる。これを避けて、
収率よくヘプタスルホナートを得るには、低温(マイナス40度)での反応が有効であるが、
室温に比べて単純計算で32倍の時間がかかることになる。そこで反応を加速する因子を
研究して、臭化亜鉛の添加が有効であることを見出し、これによって80%の
ヘプタスルホナート収率を実現した(発表論文2)。
最後に残るテトラスルホート4a-eの5種の位置異性体について、その分離は、
逆相カラムクロマトグラフィーをまず行い、その後に順相カラムクロマトグラフィーで
精製することで成功した。これらの構造決定については、高分解能NMRを駆使して
グルコース残基のすべてのシグナルをTOCSYおよびCOSY法で帰属し、
その上で残基間NOEを観測する(図5)ことで、スルホニル化グルコースと未修飾グルコースの
間の配列関係を明らかにして成功した(発表論文3)。
以上により、1984年より開始されたポリスルホニル化βシクロデキストリンの研究は
23年目において完了し、1〜7個のスルホニル基を有する19種類すべての誘導体が
1ナノ平方メートル上に望む官能基配置を実現するために使用可能になった。
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図4.ペンタ(3,6アンヒドロ) 誘導体8bのROESYスペクトル |
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図5. テトラスルホナート4dのTOCSY(a)およびROESY(b)スペクトル |
発表論文
1. H. Yamamura, D. Iida, S. Araki, K. Kobayashi, R. Katakai, K. Kano, M. Kawai, J. Chem. Soc., Perkin Trans 1 1999, 3111-3115.
2. H. Yamamura, J. Kawasaki, H. Saito, S. Araki, M. Kawai, Chem. Lett. 2001, 706-707.
3. H. Yamamura, H. Tashiro, J. Kawasaki, K. Kawamura, K. Masao, Tetrahedron 2007, 63, 2064-2069.